哥澤とは

哥澤とは

江戸時代最後に誕生した三味線音楽

うた澤節は、嘉永六年冬「歌澤約定書」という指南心得を記し、安政四年に芸道を管轄する嵯峨御所から笹本彦太郎(五百石取りの旗本隠居)が流儀の允許をうけて以後、家元という統制下で斯芸の伝承が今日まで続けられてきた三味線音楽です。

三味線音楽は、江戸時代の庶民文化において、ジャンルが次々と派生しながら細分化が進み、その中には栄枯盛衰の内に滅んでしまった音曲もありますが、現在までも伝承されているジャンルは十数種類にも及びます。それぞれのジャンルは、並行的な関係にありながら共存してきました。その中でも、うた澤節とは、江戸時代の末期である嘉永から安政四年頃までに生まれた音曲であり、江戸最後の音曲であります。それまでに生まれ派生してきた多くのジャンルの特徴を最も多く含んでいます。特に一中節の節回しや旋律を好んで用いていたようです。例、《恋すてふ》《兼てより》《濡れぬ先》など

東都の座敷芸

東都の座敷芸哥澤振り家元を明治四十四年に擁立して後、唄と三味線に舞踊を融合する「哥澤振り」は、現在でも見所として人気ある演目の一つです。兼ねてより、新橋や柳橋といった花柳界のお座敷では、好んで踊られておりました。 三味線の手数が少なく、唄の節との間合が特段難しいと言われるようです。ゆえに、その節を我が物となし、美しい舞が相交わった瞬間は、至上の空間となるのでしょう。

詞章から感じる人情の機微と美しい日本の美

うた澤節の詞章の多くからは、我々日本人が育んだ思考や習俗を巧みな措辞で描く世界が感じ得られることでしょう。二十四節気折々に移り変わる、花鳥、雪月、風雨といった自然界を背景に、女と男の間に交わされる情理の脈略は、現代の生活にも見出されるものと思います。